2004/09/26

限界の思考 宮台真司X北田暁大トークセッション

この木曜日、naganoさんと「限界の思考 宮台真司X北田暁大トークセッション」を紀伊国屋ホールに見に行った。

前売券は売切れ、補助席も出る満員御礼状態。宮台真司だけでなく、北田暁大は名前くらいしか知らなかったんだけど結構人気あるみたい。

冒頭、社会学の系譜をめぐってのかなり抽象的な対話が続く。後で本になることを意識しているため、丁々発止のトークセッションではなく、あるテーマについて交互に5-20分まとめて話をするスタイルということもあり、かなり眠くなった。

このあたりの観客とのコミュニケーションさじ加減は、やはり年長の宮台真司の方が慣れており、1時間くらい経った時点で「観客サービス」を始めてくれて助かった。たとえば「政治家を志していた友人が、転向してナンパカメラマンになった」なんていう、非常に卑近で具体的な例を交えながら難しい話を解題してくれる。

いくつかのダイアログがあったんだけど、結論めいたものとしては、

「社会学はこの混沌とした現代でも決して無効になったわけではなく、過去の還元主義と、逆に現在流行中のカルチュアル・スタディーズの一面に現れる多元主義のどちらもにも陥らず、真摯に表層の中に潜む本質について研究を続ければ必ずや社会に有益な指針を示すことができる」

というお話。

カルチュアル・スタディーズについては正直あまり詳しくは無いけれど、

「(多元主義なんだから)すべては何でもあり」

としてしまったら、還元主義(多様な諸現象を、すべて、経験に還元しようとする実証主義的発想)と同様に、議論はそこで終わってしまう。ある意味思考停止みたいなもんだ。

もうひとつ、

「”偉大なるもの”に依拠する人生を否定するのではなく、その対象を”国家”、”宗教”といった強力だけど有害となる可能性も高いものではなく、サブカルなどの無害かつ選択可能なものに変えていこう」

というテーマもあった。おっさる通り。このあたりは敬愛する鴻上尚史の戯曲も底流は同じ。

人は一生孤独でいられるほど強くはない。では、心のよりどころとなる何らかの共同体に属さざるを得ないとしたら、それは地縁、国家、一部の宗教といった「一度入ったら抜け出せないもの」ではなく、自分で所属を選べる共同体であるべきだし、それもいつでも抜け出せる状態にしておくことが肝要。

人々と共同体の蜜月は永遠に続く保証は無い。としたら、いつでも乗り換えることができるようにしておかないと、自分と共同体の利害が対立したとき、立場の弱い個人にしわ寄せが来てしまう。いつでも

「じゃ、サヨナラ」

が言える状態じゃないとね。

ただし、家族の問題はまた別かなあ。「究極のシェルター」としての機能は必要だろうから。

終演後、渋谷のclub青い部屋に向かう。山本直樹、砂、駕籠真太郎、北原みのり、下関マグロ出演のトークショーを見ようとしたのだけど、到着したときには残念ながらすでに終わっていた。でも、山本直樹・砂のお二人とはあいさつできたから、よしとする。次回はロフトプラスワンで同様のセッションがあるらしい。

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