映画評:オーストラリア(★★★☆☆) @ Bridgeway
最初に断っておくと、残念ながらセリフの3割近くは聞き取れなかった。ここ1年で観た映画の中ではダントツに成績悪い。今作では比較的穏やかだったとはいえ、やはりオージーのアクセントは厳しい。特に冒頭の状況説明部分では???が乱発。物語が進むにつれてやっと理解できた内容が多々あった。
#ニュージーランド(キウィ)とオーストラリア(オージー)を比較すると、断然キウィ・アクセントの方が簡単。
「ムーラン・ルージュ」「ロミオ+ジュリエット」などのオーストラリア人監督バズ・ラーマンがニコール・キッドマン、ヒュー・ジャックマンほか主要キャストもオーストラリア人を多用して作った「ピュア・オーストラリア映画」
山のように巨大な岩、切り立った崖、地平線まで続く砂漠などオーストラリアの雄大な景観を描写するため、俯瞰を多用している。確かにどのカットも絵のように美しい。
ひとつのテーマは
「変わること」
象徴的に最初は主人公サラ(ニコール・キッドマン)から、二度目はドローヴァー(ヒュー・ジャックマン)から発せられるセリフで
"What it is." does not mean "What it should be."
「今そうだからといって、それが”あるべき姿”とは限らない」
=現状肯定ではなく、本当にそうあるべきなのかイチから考え直そう
がある。
物語上ではイギリス貴族のサラがたくましい”男勝りのカウガール”に変貌するさま、一匹狼のドローヴァーが愛する家族を持つようになるさまがその典型。
もうひとつは冒頭、エンディングの説明にも出てきていた
"Stolen Generation" 盗まれた世代
へ焦点をあてたこと
当時オーストラリア(というか世界のほとんどの地域)では人種間でひどい差別が横行していた。
白人>黄色人種>オーストラリア先住民「アボリジニ」
というヒエラルキーが歴然としてあり、その中での男女差別もあった。
きわめつけの差別として、アボリジニとその他人種との間にできた混血児を母親(大半はアボリジニ)の元から強制的に引き離し、養護施設で暮らさせる、という政策があった。アボリジニ絶滅を優生学的見地から正当化、法体系に組み込んだとして悪評が高い。
この隔離政策の被害にあったアボリジニ混血児たちは後に"Stolen Generation"と名付けられ、この作品中でもナラ(ブランドン・ウオルターズ)が主要な役をはたしている。
さて、この制作費130億円(うち40%をオーストラリア政府が出資)長尺2時間45分の大作、中身としてはどうだったかというと…
正直リアリティとファンタジーのバランスが今ひとつだったかと。
映画なのでステレオタイプ的表現はしょうがないのだけど
オーストラリア白人=悪
黒人=虐げられた人々
アボリジニ=聖なる存在
混血児=既存の秩序を破壊し、世界を「正しい方向に導く」マージナルな存在
が徹底されている。
悪の白人たちはマンガチックなまでに悪人であろうとし、アボリジニは時に自然を味方につけたスーパーマンとなる。これはもはやファンタジーの世界。
それでも名作「ムーラン・ルージュ」のように世界観が統一されていれば違和感はなかったけれど、
「リアリティあふれる大河ドラマ」
という基本線とあまりに矛盾がすぎていた。
stuff.co.nzの評価もわずか一つ星。こちらのレビューでは日本と違いけなすことも多々あるけれど、オーストラリアとのハーフである評者が「国の恥」と最大級にこきおろしているというのは、なかなか珍しい。
NZでの興行収入もはかばかしくない模様。DVDまで待つのが得策かと。
★★★は聞き取れなかった分甘くしてみました。ちゃんと理解できていたら違う解釈もあったかも(あくまで可能性ですが)ということで。
09年最初の映画がコレとはちと幸先悪い→
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